10年ぶりに親に会ってみた

(2015年8月10日の記事から読まないとわからないです)

 

 

今年のはじめ、10年ぶりに両親に会いに行ってきた。

ふたりともすっかり年をとってしまって…。

 

母が声を震わせながら「ごめんね。ごめんね」と必死に過去のことを謝ってきたが、過去のことを謝られたところで…どうしようもない。

むしろ何度も謝られる方が辛くって…「もう昔のことはいいから…ね?」ってなだめるしかできなかった。

 

私のいない10年の間に母は鬱が悪化してしまったらしく、かなり呂律も回らなくなっており、少し前には道路の段差でコケて顔面から血を流し、そのまま救急車で運ばれたそう……。

私の首を絞めたり、包丁を向けて怒鳴ってた母がここまで弱くなってしまったことに驚いたし、すごくショックだった。

ただ、かなり時間はかかったが、やっと父と母が仲良くなったようでホッとした。

 

あなたたちのおかげで強く育った気はします。東京で、自分を見失いそうになったこともあったけど無事に30歳になりました。

貧乏生活には慣れてたし、お金の怖さをまざまざと見せつけられてたおかげか、お金で乱れることが一度もなかったことに感謝します。

 

で、Rくんは東京拘置所にいることが判明。現金の差し入れをしたらRくんの弁護士さんからお礼の電話がかかってきた。Rくん、私の電話番号を暗記してたらしく、弁護士に面会した際、私に電話するようことづけしたようだ。

 

Rくん、私の前から消えた後、とりあえず結婚して子孫だけ残して逮捕されたらしい。弁護士さんから「接見禁止だけど、接見禁止とれたら手紙のやり取りできるからよかったら手紙を書いてあげてほしい…」と頼まれたが、これ以上彼と繋がっていてはいけないと思い、「じゃぁ、そのうち手紙書きますね」と言い書いてない……が、私の病気に気づいてくれてありがとうとお礼の手紙は書かなきゃな…とは思う。

 

ただ二度と会うことはない。

 

 

 

 

最近はというと、もっぱらいろんな女友達と食事に行って近況報告。

水商売をやめて夜 自由に出歩けるようになってから友達がいかに大事か気付いたよね。

そんなに気をつかわずに、異性の目を気にせずに話せる友達のおかげで心に若干の余裕ができた気はする。

 

 

 

 

 

 

けど、前みたいに体に少し違和感があり…定期的に検査はしているが再発したかな?と不安な師走。

Rくんが逮捕された

(2015年8月10日の記事から読まないとわからないです)

 

 

母をなじっていた祖母(父の母)が亡くなった。

祖母を追うようにして祖父も亡くなった。

徐々に周りが亡くなったり、弱ったりしていっているのを見ると自分も年取ったんだなと実感。

 

 

 

11月頃からRくん(私の病気に一番初めに気づいたITの社長)が連日夢に出てきて不安になった。かれこれ2年近く連絡を取ってない…。

というか、連絡を入れても彼から返事がこない。ネットで彼の名前を検索したら逮捕されていることがわかった…。

 

 

 

 

 

 

「俺、逮捕されるかもしれない」って言葉が現実になった。

 

 

とりあえず留置所、拘置所に連絡して探してみる。

 

 

熊本地震で親の声がきけた…

(8月10日の記事から読まないとわかりません)

 

今年の夏に一度、姉家族に同行して両親に会いに行く予定だったけど、一人で早めに行こうかな…。

 

今まで自分の実家の場所を伏せてたけど、実家、熊本県
14日の地震で実家がぐちゃぐちゃになったと姉から聞きた…。モノが倒れたというよりも吹っ飛んだらしい。
母が50半ばで、父が60前半と、だいぶ歳…。しかも二人とも病気持ちで、体力ないから荒れた部屋を片付けつつ住むのは難しい気がする。
二人の薬は足りるのか…?

 

 

家はマンションの9階で、エレベーターも使えないから外に出るにも一苦労らしい。

 

『両親死んでも絶対泣かないだろうな…』って思ってたけど、ニュース見てるだけでそわそわする…。

 

 

震度7地震の翌朝、母に「地震大丈夫なの?」ってメールしたらソッコー電話かかってきて
「大丈夫だよ、ありがとう」って言うんだけど、鬱のせいで言葉が詰まって、うまく喋れてないし、声も弱々しいし、呂律も回ってない…。
なんか一生懸命喋っているのを聞いているのが切なくなった……。狂気じみてた母が、こんなにも弱くなっちゃうなんて…。

 

 


なんなんだよ…。怒鳴り散らす元気どこいったんだよ…。


泣けてくるからやめてくれ…。いつも私を泣かすのはあんただ…。

 

 

 

 

 


昨日の夜中にまた大きい地震があったらしく、津波注意報もでて、火災がおこっているところもあったから
夜中母に「生きてる?」ってメールしたのにかえってこなかった…。

 


母に電話しても出てくれないし、父に電話しても出ない…。とうとうマンション潰れたのかな…?って不安になってたら
父から電話かかってきて「大丈夫だ。けど、最初の震度7よりも揺れが酷かった…」と。

 

私「関西の姉の家に逃げないのか?」
父「あちこち道路が割れてどこにも行けない。熊本から出られない…」

私「今お母さんは?」
父「地震で一回起きたけど、睡眠薬(←鬱の)効いてるからまた寝たよ」

 


8年ぶりに父の声を聞きいた…。

で、

地震で大変なクセに「〇〇(←私の名前)は元気で暮らしているのか?」って…。
いま私の心配よりも自分らの命の心配してくれよ……。

 


…母もそうだけど、いきなり優しくなるのは止めてくれ。免疫がないんだよ。

 

 

 


少しの間、父と電話で会話した…。

 


2年ちょい前に癌になり、手術したことをカミングアウトしたら「……なんで言ってくれないんだよ…」と悲しまれてしまった…。


そもそもあの頃の私は『早く両親死なないかな』と祈ってた。そんな人にわざわざ癌になったことなど報告しない。

言っても助けてもらえると思ってなかったし、心配すらされないと思ってた…。


ただ、
父と会話できたのに、顔が思い出せないんだ…。人の顔とか名前とか覚えるの得意なのに、自分の親の顔が出てこない…。

 

 

正直、二度と両親の助けなんかしない、死んでも構わないって思ってたけど、そうもいかないよな……。

 

育てられる過程に不満はあったが、産んでくれたことには感謝してる。いま東京でふらふら生活できているのも生きてるからだ…。

 

 

 

地震のおかげっていったらアレだけど、

「家族」ってこういうことなのかな?って少し分かった気がする…。

 

 

夏に一度、両親に会うかも

(8月10日の記事から読まないと分かりません)


今年の夏、姉夫婦と時間が合えば、一度実家に帰る予定だ。


東北の祖父母の家に行く案もあったが
甥っ子が、「じいちゃん(←私の父の事)と電車とお城がいい」と。

 

え~…。じいちゃんがいいの…マジで~…という気持ちだが、甥っ子のいうことにNOとは言えず、「じゃぁ実家で…」と。まぁいずれ行かなきゃだからいいんだけど。

 


両親にはもう何年会ってないだろうか…。

 


気付けば自分もしっかり大人になってしまった。

 

 

小さい頃、養子に出されてたのなら、きっと私の人生は変わってたんだろうな。

 

 

 


けど養子に行く話もなくなり、両親に育ててもらったから今の人生なんだ。

 

 

 

 

 


楽しいこともあったけど、ただ本当に辛かった。

 

 

 

 


母の躾は度を超えていた。よそ様の家に上がった時は「あらー行儀がいい子」と言われた。母はそれを言われ満足げだった。

 

虐待まじりの躾のおかげでどこに行っても褒められた。

 

 

 


ただ母は「母」のときもあった。

 


一度、母に泣きながら抱きしめられたことがある。

 

 

幼稚園の頃か、それより前だろうか…。
母に構ってもらいたかったが、構ってもらえず、かといってどうやって甘えていいかも分からなくて…。

ふと、絵本に、

河童は独りぼっちで寂しいから、川で人の足を引く

的なことが描かれていたのを想いだし、

 

「カッパはひとりぼっちでさみしいみたい。本当はあそびたいし、いっぱいおしゃべりしたいんだって…」とボソっと言ったら、
母がいきなり泣きだし、抱きしめてきた。
正直、その時は母が泣いている意味が分からなかった。

 

 

が、大人になった今、何となく分かった気がする…。

 

  

 

 

 

 

 


でも日常のほとんどは、ぐったりするまで殴られてた。

 

 

幼稚園でも自分の不器用さはヤバかった。
自分の気持ちを人にうまく言えず、自分よりも友達を優先してしまい、我慢してた気がする。
先生に「大丈夫?」と心配されても、全然大丈夫じゃないのに「だいじょうぶ」と言ってしまい…。

 


上手く甘えられなかった。卒園式のメッセージカードに「もっと、あまえてください」と書かれてしまうほど、ホントに下手くそだった…。

 

 

 

 


今よりも小さい頃の方が他人に気を遣ってたと思う。

 

嫌われたくなくて。

 

 

今、べつに嫌われてもいいやって気持ちがあるから、昔ほど人に気を遣わない。
でも自分の事を大事にしてくれる人や、大事にしてくれる周りの人たちは大事だ。
だから大事な友達の旦那さんや子供も大事。

 


姉の旦那さんのの両親に年に1回くらいしか会うことないけど、『姉の旦那を生んだ人なんだ…』と思うと大事。

 

 

 

 

 

小学校にあがり、自分の気持ちが上手に言えないのもダメだったんだろう…。
体のアザにつけこまれ、男子にいじめられ、物がよく無くなった。
「……かえして…」と言っても「とってねーよ!」と嘘をつかれ、返してもらえなかったりで。

 


誰も助けてはくれなかった。見て見ぬふりだ。

 

 

 

 しょせん人なんてこんなもんだ。

 

 


だから授業中が一番ラクだったんだ。誰も何もしてこないから。

 

 

そのころ毎晩泣いていたせいか、目はいつも腫れぼったかった。

 

 

ただ、小さいころから記憶力はいいほうで。
いじめてきた男子の名前は今でも全員フルネームで覚えてる。

 

 

 

 

小4の時だっただろうか。同じクラスにほどよくいじめてくる男子がいた。

 

 

そいつとキャバクラで再会したことがある。


24歳のころ(キャバ嬢している時)たまたまその男が会社の人たちとキャバクラに遊びにきて、私が隣についたんだ。

 


最初は気づかなかった。
でも出身地や小学校の話をしている時に気付いた。
恐る恐る名前を聞けば、まさにそいつで。


(あー…こういう再会もあるのか…。さて、どうやって仕返しをしようか…)と悩んだが、聞けば嫁も子供もいると…。
流石に子供がいる男に仕返しはできない…。悔しかった。
ただ「連絡先教えてよ!今度ご飯行こうよ!」と誘ってきた。

既婚のくせに…。
その男を心で笑った。

 


目の前にいるのが「私」だと知ったらどんな顔をしたのだろうか?

 

 


でも、仮にその男が、小学生の頃 私に優しかったら……再会したとき、仕返しを考えるのではなく、私は何を考えたんだろう…?
昔はありがとう!と礼でも言ったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

小さいときの私は笑ってなかった。

 

 

 

 

ここ数年…というか、東京にきてから自然に笑えるようになったんだと思う。



 

 

 


東京にきていろいろあったけど、小さい頃に比べたらホント気持ちがラクで。

昔ぞんぶんに笑えなかった分、今笑っているだけだと思うけど。


逆に東京に来て泣いたのは数回だ。昔、泣きすぎただけだ。


って考えると
一生で、笑う回数も、泣く回数もだいたい決まっているのかもしれない…。

 

 

 


さて…。
今年の夏、親の前でも私は笑顔でいられるかね

 

東京暑くて辛い

先週、メロンを1玉頂きまして、
『メロン一日じゃ食べきれない…どうやって保存すればいいんだろうか…。メロンって冷凍してもいいのかな?』
といろいろ考えながら歩いてたら、洒落た男性が電話しながら私の視界の端をスッと歩いていった…。

 

 

と、思ったらその男性が戻ってきて、電話したまま焦った感じで、いきなり私に名刺を渡した…。
「よかったらウチの店きませんか?」的なこといってたけど、私イヤホンで音楽聞いてたから細かく彼の言葉聞き取れなくて。


彼は電話したまま慌てて名刺渡すし、私は音楽きいたままで、お互い「あ…ぁ…(汗)」みたいな変なやり取り…。

その辺のキャバクラの派遣会社の人かな?って思ったけど……


ただ終電の時間も差し迫ってたし彼の話をきくことなく「ありがとうございまーす」と名刺だけ受け取って駅に急いだ。


で、

電車で先ほどの名刺をみたら、銀座で3本の指に入る超高級クラブの名刺だった…。あの男性はそこの顧問の方だったらしい。

 


芸能人とか、著名人が通っているホント老舗のクラブ。


あー…ヘルプの日給訊けばよかった。こういう超高級店て求人出てないから日給が謎なんだよね。
でも同伴もアフターも大っ嫌いな私が超高級クラブとか無理難題すぎる。
名刺は記念にとっておこう…。

 

 

 

 


帰宅してから謎の微熱に襲われ、数日コーヒーとメロンとゼリーの生活で、
体重減ったかな?とちょっと期待したけど、数日まったく動いてなかったから減ってない…。
週末もベッドの中でずっとPCいじってたから体力使ってない…。

 

メロンとゼリーのみなのに痩せないって相当動いてないよね私。


咳でないし、かといって高熱でないし…。中途半端でなんかムカつく…。もぅ。

 

 

 

 

 

 

 

本日ようやく平熱に戻り、そのへんフラフラ歩いているけど

いつの間に春になったんですか?

暑くてしんどいよ…。

 

 

友達に「東京暑くて死にそう…」って送ったら
「マジで!? やったぁ!」って返ってきた…。

そんなんじゃめげないけどね。

 

小児科対応

(8月10日の記事から読まないと分からないです)

 

大学病院の検査結果は異状なしで温泉も全然入って大丈夫だよとのこと。
てか医師代わってた。この前の女医じゃない…。

検査結果だけ聞きに来たつもりだったけど、「ついでに子宮と卵巣みとく?」と念のため検査してもらうことに。

医師「痛かったら言ってね~。はーい力抜いて~」
私「……い”だい”」
医師「ゴメンね~違和感あるよね(汗)もうちょっとだから我慢してね~。できる~?」
看護師「深呼吸して~。あとちょっとで終わりますからね~」
医師「気分大丈夫?痛い~?」
私「……いいえ…」


あやしかたが完全「小児科」で恥ずかしくなった…。「痛い」とか言えないよwww私 何歳だよ…。
前の女医さんのとき「痛い…」って言葉もらしたら、間髪入れずに「しょうがない!」って返されて(え…!?)って軽くパニックだったわ。
(たしかに、しょうがないけどさ…)
この医師優しいし前の女医より上手いぞ。子宮も卵巣も大丈夫ってさ。
「数年性交渉してなくても数年気付かずに病気持ってるときもあるから検査しとく?」ってここでも聞かれたがクリニックで検査済みなので遠慮…。

 

 

 

おかげさまで、からだ超キレイです。
(ついでに28年間 虫歯一本もないし歯並びキレイなんです。虫歯の痛さ知らない)

 

 


安心した。ヒト科のメスとして欠陥があったら嫌だなって思ったけど正常だった。油断できないけどね。
で、温泉行きたい。

 

 

 

コンタクトで気絶した

(8月10日の記事から読まないと分からないです)

 


温泉行きたい

 



ずっとネットで温泉検索してた。

 

 

(編集部の人からしたら早く原稿出せや!って話だよね。すみません)

 

 

 

 

退院後いろいろと怖くて温泉に行けなくなった。
てか入っていいのかな? 退院後一時いろいろ規制があって生活し辛かった。
今度病院行ったとき医師に温泉入っていいのか聞いてみよ…。

 

 

 

退院してからどこにも行ってない。
夜遊ぶことも無くなった。年齢のせいもあるかもしれないけど。

 

 

ただコラムニストとしてはたぶん外に出た方がいいんだ。ネタ切れをおこすから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私のためにわざわざ姉が大安寺へ参拝に行ってくれたそうで、
大安寺のお守りと手紙を送ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 


慣れていない人に触られるのがまじでダメなんだ。

 

苦手な人に触られるのが嫌なうえに結構ビビり。

 

昔、眼科で眼圧はかるために軽く空気を目に当てられただけでビックリしてしゃっくり止まらなくなったし、
コンタクトレンズ入れられただけで気絶した…。
起きたら眼科医に「眼科で気絶した患者は初めてだw」と笑われたよね。

 

 


一人で病院はいろいろ危険だ。

 

 

 

 

 


そもそもライターの仕事を始めたのきっかけには、夜の仕事をやめたかったも含まれる。


お酒に強いわけでもなく、喋るのが得意なわけでもない。どっちかって言えば人見知りで…できれば家に籠っていたい。
なるべく人の目を見ないで過ごしたいのが本音だった。 


だから会社に勤務とかもちょっと無理。てか会社で働けるほどの能力ないからそもそも無理だ。

 


なんか大学生とかが就活してるの見るとホントえらいと思う。
いい会社に入れるか否かってある程度学歴で決まってしまうのかもしれないけど…それは学歴であって…
学校で学んだ内容はそうそう関係ないんだろうな。って思うと切ないよw

大学行ってないからなんとも言えないけど。

 

 

 

 

 

 

 


人は嫌いじゃないんだけど、嫌いじゃないんだけど…
うまく接することができません…。