「家族」って意味は人それぞれだと思う。

(8/10の記事から、さかのぼって読まないとわからないと思います。)


Yが私に「そろそろ結婚しようか」と言ってきた理由は『私の体調』だけが理由ではない。

 

このころ、私が他部隊の男性に連絡先の交換を無理強いされていたり、
警衛(夜通し駐屯地警備)中に知らない人から私のケータイに「お疲れさま」とメールが届いたりで気持ち悪い思いをしていたからもある。


Y的に男性の多い自衛隊で私が働くのは やはり心配だったようで、その気持ちは私も薄々感じていた。
心配させるのも可哀想だし、体(腰)も少し言うこと聞かなくなってきたしで、上の人に退職を相談した。

 

 

2007年の夏だっただろうか、山の訓練中に中越地方で大きな地震が起きた。
さすがに訓練で駐屯地の外に出ていたため、たいした機材も持ち合わせていないから災害派遣の呼び出しはかからないだろうと思っていた。
だが、深夜0時に呼び出しがかかり、中越地方へ災害派遣に行く隊員の名前があがり、二時間後に出発すると発表された。
訓練で使用していた天幕や機材等すべて撤収させ、車両に積まなければならなかったが、その夜、雨がふっており、足元は泥まみれ。
時間がないので、きれいに車両に積む暇はなく、泥まみれのまま押し込む感じで撤収させた。


私や班長、その他数名は駐屯地に帰る要員になり、何人かの先輩は派遣要員。
さすがに訓練目的で山にきているので、みんなお金はさほど持っておらず、残った隊員が派遣の隊員に持ってるお金を渡した。

訓練も終盤の頃だったので着替えも少ない。
なにもない状態で先輩たちは夜中の2時に山を出発して中越地方へ向かった。

 

駐屯地に帰ってから残った隊員も休みなしで働いた。


Yも災害派遣に出たようで一時連絡の取れない日が続いた。

 

 

 

たまに駐屯地の外に自衛隊反対のデモの方が居たりしたが、正直腹ただしい…という気持ちよりも悲しかった。でも誰もそのことは口にしない…。
いざというときは自衛隊に反対しているあなたたちも助けるこっちの身にもなってみてよ…と思ったよね。
反対しながらも、災害が起きて困った時はさっさと助けろですか…。

 


雪山の立ち入り禁止のところで遊んでいる人たちがいるが、TVのインタビューで「命がけで遊ぶのが楽しいんじゃん!」って言ってるのを見た時は呆れたよね。
あなた達が遭難したらこっちが命がけで探しに行くんですよ?あなた達に家族がいるように探しに行くこっちにも家族がいるんですよ…。
遊びに命をかけるとか価値観おかしいんじゃないの…
天災で危険な目にあってる人は誰だって助けたいし、生きたまま家族に会わせたい。
でもね、わざと自ら命を無下にするような人は自己責任だから助けなんて求めないでほしい…ってのが普通の考えだと思うけど、そんなの通用しないもんね。

 


中越地方の派遣の交換要員で私の名前も入っていたが、私の1つ前の部隊で災害派遣が打ちきりになった。
3か月ぶりの休みで気が抜けたのか、熱出して2日寝込んでしまった。

 

Yも無事に災害派遣が終わり、体調も悪くならなかったようで…ホッとした。

 

大きな地震の際、災害派遣に行くと、崩れた建物をかき分けて人を探したり、ご遺体を運んだりするため、
現地で被災した方々ほどではないのかもしれないが、やはり精神的におかしくなってしまう隊員もいるそう。

 

 

 

 

 

母にYと結婚することを報告した方がいいのか迷った。
Yに両親を紹介したくなかった。Yに申し訳ない気がして。だってあんな両親だよ?


だが一応報告はしないとやばいのかな…と思いメールでさらりと伝えた。

 

今になって不思議に思うのだが、この時 母はYの連絡先を知っていたのだ。
母が私にYの連絡先を聞いたのか、それとも私が万が一亡くなった場合、彼に連絡してもらうよう伝えていたのか…

母は私の結婚(婚約)のメールを見て激怒した。
たぶんもう通帳からお金が引き落とせなくなるからだ。
いきなり電話がかかってきて「勝手に結婚決めてるんじゃねー!」だのなんだの怒鳴られた。

 

ほら…だから報告したくなかったんだ…。


「結婚するから」と伝えて一方的に電話を切った。

 

そしたら母はYに電話をかけ、「勝手に結婚の話してんじゃねーよ」「ぶっ殺すぞ!」等罵ったようで…。
ついでに母はYに電話したことは私に言うなと口止めしたらしい。


が、Yと私に隠し事はなかったのでそっこーでYから電話がかかってきて、内容を全部聞いた。
母はなぜか私の姉にも挨拶してないくせにだの、いちゃもんをつけて、私の姉にも電話しろと謎な事を言ったそう。
Yは本当に姉に電話した。


この前たまたま当時の話を姉としていたんだが、Yから電話が来たとき、やはり姉も驚いたようだ。でも好青年でいい子だったと未だにYの事を褒めてくれる。
Yと姉は普通に楽しく会話をしてくれたようだ。

 

Yから連絡を受けてすぐ母に「なんでYに電話したの?」と訊いたら
「電話?電話なんてしてねーよ!なんでお前は私をすぐ疑うんだ!自分の心に手を当ててみろ!悪いと思わないのか!」とブチ切れてた。

正直にYから電話で全部聞いたと話したら
「お前が勝手に結婚を決めるからいけないんだ!」とさらにキレられた。

「なんでYにぶっ殺すとか酷い事言うの?」って私も少しキレながらきいたら「言ってねーよ!そんなこと!」と言っていたが…たぶん言ったな。

 

Yには本当に申し訳ない事をした…。
何回も何回も「ごめん、本当ごめん」てYに謝っても「謝らないで、平気だから。むしろお前よくあの家庭で真っ直ぐ育ったな!w」って笑ってた…。


母のせいで自由がなかった上に結婚まで邪魔されてはたまったもんではない。
正直少し殺意が芽生えた…。

 

 

Yは私と付き合ってからはよそ見もせず、私だけを一途に見てくれた。だから安心して私も彼だけを見てこれたんだと思う。

この年になって思うんだが、あんな安心できる恋愛はもうないのかもしれない。

 

 

 

この数年後に発覚するのだが、私は姉の学費名目で自衛隊に入隊させられたが、実は姉は奨学金をもらっており、学費なんてかかってなかった。
姉も専門学校卒業後、生活費を送ってやってたんだから全額返せだのなんだの、姉も姉で母から金をせびられていた。

 

 

自衛隊の上の人には辞める相談し、辞める理由も『体調』と『結婚』と伝えたら、すんなり受け入れてくれた。
着々と退職の手続きをふみはじめていた。
周りからは「ハタチで結婚はまだ早いんじゃないか?」とか「初彼氏と結婚?もっと他の男も見たほうがいいんじゃない?」心配されたが、Yとなら大丈夫だと確信してた。

 

 


今思えば不思議だな。とっつきにくいと思ってたYにあっさり処女を捧げてしまいw捨てられるとおもっていたら告白され、結婚まで話が進み…。
けど前兆はあったのかも。初めて会った頃、駅や道端や店で何回も偶然に遭遇していたのはただの偶然ではなかったのかもしれない。

 


退職するまで仕事は真面目に頑張ろうと決めてた。

 

 


最後の山の訓練はたまたま検閲だった。
検閲はみんなピリピリしている。ただの訓練ではなく、今までの成果を上級指揮官が見に来るからだ。


その検閲にバトミントンでちょこちょこ話するようになった幕僚長も見に来ていた。
大勢の隊員が訓練している中、幕僚長は私を見つけて下さり、近くまで来て
自衛隊辞めちゃうんだって?寂しくなるねぇ…」と声を掛けてくださって…。

すでに幕僚長まで退職の書類があがっていたようだ。


私に「幸せになるんだよ」と優しい言葉をかけ視察に戻って行った。

 

なんで血も繋がってない幕僚長や班長や先輩は私の結婚を祝福してくれるのに、
母は激怒して阻止しようとするのだろう…。本当に私は母から「お金」としてしか見られていなかったんだ。

 

 


正直母と縁を切りたかったし、今も切りたいと思っている。

 

もしまた誰かとお付き合いをして、結婚の話が出た時は、母に報告はせずにシレっと結婚してしまおうと思う。

 

 


今のところ私にとって「家族」って言葉は「血縁関係」って意味しかない。