熊本地震で親の声がきけた…

(8月10日の記事から読まないとわかりません)

 

今年の夏に一度、姉家族に同行して両親に会いに行く予定だったけど、一人で早めに行こうかな…。

 

今まで自分の実家の場所を伏せてたけど、実家、熊本県
14日の地震で実家がぐちゃぐちゃになったと姉から聞きた…。モノが倒れたというよりも吹っ飛んだらしい。
母が50半ばで、父が60前半と、だいぶ歳…。しかも二人とも病気持ちで、体力ないから荒れた部屋を片付けつつ住むのは難しい気がする。
二人の薬は足りるのか…?

 

 

家はマンションの9階で、エレベーターも使えないから外に出るにも一苦労らしい。

 

『両親死んでも絶対泣かないだろうな…』って思ってたけど、ニュース見てるだけでそわそわする…。

 

 

震度7地震の翌朝、母に「地震大丈夫なの?」ってメールしたらソッコー電話かかってきて
「大丈夫だよ、ありがとう」って言うんだけど、鬱のせいで言葉が詰まって、うまく喋れてないし、声も弱々しいし、呂律も回ってない…。
なんか一生懸命喋っているのを聞いているのが切なくなった……。狂気じみてた母が、こんなにも弱くなっちゃうなんて…。

 

 


なんなんだよ…。怒鳴り散らす元気どこいったんだよ…。


泣けてくるからやめてくれ…。いつも私を泣かすのはあんただ…。

 

 

 

 

 


昨日の夜中にまた大きい地震があったらしく、津波注意報もでて、火災がおこっているところもあったから
夜中母に「生きてる?」ってメールしたのにかえってこなかった…。

 


母に電話しても出てくれないし、父に電話しても出ない…。とうとうマンション潰れたのかな…?って不安になってたら
父から電話かかってきて「大丈夫だ。けど、最初の震度7よりも揺れが酷かった…」と。

 

私「関西の姉の家に逃げないのか?」
父「あちこち道路が割れてどこにも行けない。熊本から出られない…」

私「今お母さんは?」
父「地震で一回起きたけど、睡眠薬(←鬱の)効いてるからまた寝たよ」

 


8年ぶりに父の声を聞きいた…。

で、

地震で大変なクセに「〇〇(←私の名前)は元気で暮らしているのか?」って…。
いま私の心配よりも自分らの命の心配してくれよ……。

 


…母もそうだけど、いきなり優しくなるのは止めてくれ。免疫がないんだよ。

 

 

 


少しの間、父と電話で会話した…。

 


2年ちょい前に癌になり、手術したことをカミングアウトしたら「……なんで言ってくれないんだよ…」と悲しまれてしまった…。


そもそもあの頃の私は『早く両親死なないかな』と祈ってた。そんな人にわざわざ癌になったことなど報告しない。

言っても助けてもらえると思ってなかったし、心配すらされないと思ってた…。


ただ、
父と会話できたのに、顔が思い出せないんだ…。人の顔とか名前とか覚えるの得意なのに、自分の親の顔が出てこない…。

 

 

正直、二度と両親の助けなんかしない、死んでも構わないって思ってたけど、そうもいかないよな……。

 

育てられる過程に不満はあったが、産んでくれたことには感謝してる。いま東京でふらふら生活できているのも生きてるからだ…。

 

 

 

地震のおかげっていったらアレだけど、

「家族」ってこういうことなのかな?って少し分かった気がする…。