決めつけて話す大人がどうも苦手です

紺色のセーラー服が好きじゃなかった。
私が着ると、どうしてもコスプレ感がでてしまう。


中3の時の家庭教師(5つ上のお兄さん)に制服姿みせたら笑ってた…。

 

中学卒業後は県内の公立高校に入学


普通に女子高生してた。

 


個性的な先生に恵まれて楽しかったな。

 


通った高校は共学なのに全生徒「女子」という謎な高校。(今は男子生徒もいるらしいです)

で、生徒がやたら多い。

1学年10クラス、1クラス40名程。

全校生徒約1200名。

 


女子だらけの学校は楽しかったが、校則が厳しかったのが難点だった。
違反をすると担任教師と1週間、放課後に校庭の草むしり…。
けど 私が通ってい頃、校則を守る生徒の方が少なくて 結構な人数が放課後校庭で草むしりをしてた…。
 

 


結果、


学校から雑草が消えた…w
むしるものが無くなった。

 

 

校則を守る生徒は少なかったが、授業はみんな真面目に出席していた方だと思う。

  

 

ただ一日の授業のコマ数が多くてしんどかった。
高3になると、朝7時半から課外授業が始まり、7限目が終了すると今度は夕課外が2~3コマ。
家に着くのは夜8時頃。

 

 

謎な日課があった。
毎朝ホームルームで、いろんな新聞社のコラムが記載されたプリントが配られる。
自分でその中から一つ好きなコラムを選び、それを題材に小論文を書いて放課後までに担任に提出しなければならなかった。
国語が大嫌いな私はそれが苦痛で苦痛でしょうがなかった。
『なんでこんなの毎日書かなきゃいけないの…?』ってイライラしていたが、
今思えば添削する担任も大変だったよなぁと。

40人分の小論文毎日読んで添削とか……苦行。

 

高1高2は授業コマもすくなく、放課後友達と遊んで帰宅。
遊びといってもプリクラ撮ったり、マックでグダグダしたりと意外と健全で。
他校の男子と付き合ってる子もいたが、私に恋愛は無縁だった。

 


高3は授業が多くて1日のほとんどを学校で過ごし、家には寝に帰る感じだったため母と顔を合わせる時間が少なく気が楽だった。

 

 


母に「高校卒業したら家から出ていけ」と昔から言われていたので、
卒業したら大学進学がてら、とりあえず親元から離れる予定だった。


だが私が高2の時、父がいきなり仕事を辞めやがった。
母はパートに出たが父は働く気なし。悪びれる様子もない。


いっきに貧乏になった。

 

姉は私立の看護学校に通っており、ちょっとおバカなせいで留年もして学費がかさんだ。


父が仕事を辞める少し前まで、母は「大学に行くなら国立大学に行け。私立は姉ちゃんだけで十分だ」と私に言っていた。
高2の一学期、三者面談で担任にも「今の成績なら大丈夫」と言われていたので、私も国立大学に行くものだと思っていた。

 

 

だが大学に進学できない状況になった。


私が就職してお金を稼がなきゃいけない…。

 

 

正直父の事も昔から嫌いだった。

 

 

中学生の頃だったかな…いきなりキレた父が「誰が食わしてやってると思ってるんだ!学校にだって通わせてやってるんだぞ!」と偉そうなことを言っていたが、国民の三大義務として「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」ってのがあるわけで…どこの親でも普通にやっていることを何故か子供に偉そうに言ってしまう父がちっぽけに見えた。

昔から父の事は尊敬していない。

 

 

父は、機嫌が悪くなるとたちまち面倒臭くなる。
ただでさえ普段から面倒臭いのに、一度キレると怒りがなかなかおさまらない。

 

 

幼いころ、夜中なのにリビングの電気がついていて、『なんでまだ起きてるんだろう…?』と半開きのドアの隙間からそっと中を覗いたら、
母の何かが気に食わなかったのだろう…父が母に無理やり酒を飲ませて殺そうとしてた。

 

死にはしなかったが、翌日から数日間、母は寝たきりで顔色も悪く声も出せない状態だった。

 

 

父の両親(私からしたら、おじいちゃん、おばあちゃん)は旅館を経営しており、家はかなり裕福だったらしい。父は我儘三昧で育てられた。
ばあちゃんは息子である父を可愛がり、息子である父を取った母をいびっていた。
絵に描いたような嫁姑関係だった。

 


ばあちゃんがアレで、父がコレだ…。
残念な人間の遺伝子は濃いのかもしれない。きっと私の体にもこの遺伝子が濃く入ってるんだろう…残念だ。

 

 

 

 

 

私が高校入ってすぐの頃だ、雨の日に父と母が車で買い物に出かけた。
2~3時間後、帰宅した母は上機嫌だった。
フラッっと、どこかのマンションのオープンルームをみに行き、気に入ったらしく即決で買ったようだ…。

 

母も父が仕事を辞めるなんて思っていなかったから簡単に買ってしまったんだろう。

 

父もマンションを30年?ローンで購入した翌年いきなり仕事を辞めるとかアホだ。
ローン以外にも姉と私の学費もあるのに。家族に相談もなくいきなり辞めた。

 


なんで母はこんな男と結婚したんだろうか?と幼い頃からずっと不思議に思っていたが
改めて不思議に思ったよね。

 

 

 

母に「あんた、大学はやめて自衛隊に行きなさい。お給料もらえるし国家公務員だよ、国家公務員。それでいいでしょ?」と簡単に言われ、勝手に進路を決められてしまった。

 

確かに姉は看護学校でまだ学費がかかる。
私が進学を諦め就職し姉の学費やその他もろもろを支えなきゃいけない状態だった。

 

 

高3の9月だったかな?ちゃんと自衛隊の試験を受けた。


行くなら航空に行きたかったが、裸眼の視力が悪すぎて無理だった。

 

陸上に入るにも筆記試験以外に航空ほどではないが、ある程度視力はいる。
当時の私の裸眼視力は0.03と超絶悪かった。
母は、私の視力をあげるため受験の数か月前から私を鍼灸院に通わせた。(将来の投資ね)
おかげで両目とも一時的に0.6くらいまであがった。

 

 

陸上自衛隊の入隊試験は3つに分かれていた。
『2士』『補士』『曹学』とあり、
『2士』と『補士』は任期制で入隊後、昇級試験をクリアしないと階級が上がらない。だが募集人数が多いので入りやすい。筆記試験も簡単。
『曹学』は非任期制で入隊後、昇級試験なしで階級がスライド式に上がるという おいしい制度。だが毎年、女子は全国で30名ちょいしか入れない。


一度、自衛隊に入隊した人も『曹学』を受験しなおしたりするので『曹学』だけが毎年倍率が高かった。(現在『曹学』制度は無い?ようです)

 


私的に入るなら『曹学』と決めていた。

 

 

 


一次試験は普通に合格した。

 


二次試験の面接は自衛隊駐屯地の中で行われた。

 

「私は!幼い頃から!自衛官に憧れており!~…」とデカい声が廊下まで漏れていた。
他の受験生の『頑張って暗記しました感』が少し滑稽で…。


『たいして広くもない面接の部屋で、あんなにデカい声を出すのってどうなんだ?デカい声を出すのは入隊してからでいいだろ…』と心の中で少し小馬鹿にしたが、面接のときにハキハキ答えた方が受かりやすいと地連(自衛隊地方連絡部)の人に言われたんだろう。素直な人たちだ。

 

私も一次試験が通った際、担当の自衛官の方に面接の時はああした方がいい、こうした方がいいと言われたが、心の中で『なんか…おかしくないか?』とそのアドバイスに納得できず、実践はしないと決めてた。

 

 


自分の番になり、静かに扉を開け入室。
目の前に自衛隊の制服を着た面接官が3人いたが、何故か…緊張しなかった。
たぶん私自身、本気で面接に臨んでいなかったからだ。

 

普段通りの声のボリュームで面接官の質問に淡々と答えた。

特に答えに困る質問はされなかった気がするが、印象に残った質問がある。
イラク派遣など、危険な国への派遣は大丈夫ですか?有事の際、そのような国に行けますか?」と。


正直、家にいる方が危険だったので即答で「行けます」と言ったら「家族の方が心配するんじゃないですか?」と聞き返された。

他の子はこの質問にどう答えたかは知らないが、「両親に心配なんてされていないので、どこへでも行けます」と笑って答えたら、面接官3人とも一瞬動きが止まったが、「頼もしいですね」と笑ってくれた。

 

15分ほどで面接は終わり、帰宅した。
担当の自衛官がアドバイスしてくれたことは一切実践していないが、『受かったな』と確信してた。

 


で、
本当に『曹学』に合格した。

 

 


高3の秋に自衛隊の受験が終わり、課外授業からも解放された。
センター試験も受けなくていいので勉強を頑張る必要がなくなった。

 

 

 


家庭の事情を知っていた担任も私の就職先が決まって安心してくれた。
合格を伝えた日「あ~…ホッとしたよ~」って肩をポンポン叩かれた。

 

その後の期末テストや模試の点が少々悪くても、担任は「点数はもう気にしなくていいよ。自衛隊に行くまで少しゆっくりしたら?」と優しい言葉をかけてくれて…。

 

 

ゆっくりしつつ、朝のホームルームの謎な小論文はとりあえずつづけた。

 


春、髪をショートにして、関東のとある駐屯地に入隊した。

 

 

懐かしい。

 

 

 

 

 

色々あって、自衛官をやめて都内でホステスをした。

 

仕事でお客様を接客したり、人付き合いでパーティーに参加すると色々答えにくい質問をされることもある。

 

 

 


「ホステスの前は何か仕事していたの?昼間の仕事ってしたことある?」と訊かれたこともある。

 

「高校卒業してすぐ就職しました」とだけ言うと「何の仕事してたの?秘書とか?」って今度は職種を問われる。


素直に「陸上自衛官です」と答えると、ほとんどの人が「えー!!」ってビックリする。

 

確かにキレイなドレスを着て髪もセットし、顔も化粧でキレイに仕上げ、しおらしく座っていたら誰も元自衛官だとは思わないだろう…。

 

 

で、必ず「なんで自衛隊に行こうと思ったの?」と掘り下げられる。


素直に理由を言うと場が暗くなりそうなので「ノリで入隊しました」と適当に答えるようにしてる。


「ノリで入れるもんなの?すげー!」って変に感心されて心が痒くなる…。

 

 

これくらいならまだいい。

 


「実家にはたまに帰っているの?」と訊かれ「いいえ、数年帰っていません」と言うと
理由も聞かずに「親不孝だな!ちゃんと帰れよ!」って言われる。


頭ごなしに「親不孝」と言われるのが癪にさわる。

 

理由も聞かないで「実家に帰らない=親不孝」と決めつけてくる大人が嫌いだ。


なんで大人になるにつれ、理由をちゃんと聞かず憶測だけで勝手に決めつけるんだろうか?


大人は自分の知らない未知なことだけ「なんで?」と訊く。

 

周りに自衛隊に行った女がいないから理由が思いつかず、私に「なんで自衛隊に行ったの」と訊いたんだろう。

 

でも私が実家に帰らないのは、仕事が忙しいか、遊びほけているからと勝手に想像したんでしょう?

実家に帰らない人なんてザラにいるから理由は想像しやすい。実家に帰らない理由も訊けよって思う。

 

 


子供の方がまだいい。小さい甥っ子と会話をしてて驚くことがあるんだが、甥っ子は30秒に1回レベルで「なんで?なんで?」と訊いてくる。
知識も経験値もほぼないから話の先の予想や、事の原因の憶測ができず理由を逐一尋ねてくる。

 

 


甥っ子が遊んだおもちゃを片付けないと、お母さん(私の姉)が怒る。で、甥っ子はギャーギャー泣いて余計片付けない。
だが甥っ子と一緒にお風呂に入ってる時に「なんで片付けないの?」と優しく理由を訊き、片付けた方がいい理由を伝えると「そっかぁそっかぁ」って素直に話を訊いてくれる。理解してるか否かは謎だが、大人より素直だ。

 

 


相手がお客さんではない限り「私が実家に帰らない理由を知らないのに、なんで親不孝と決めつけるの?」と逆に訊いてしまう。
淡々と帰らない理由を教えると「だってそんなの知らなかったし…」と言い放つ。
尋ねもしてないくせに「知らなかったし」と。

 

 

 

 


父も母も『自分の考えが絶対正しい!』と思い込んでる人だった。聞く耳持たずの堅物。

 

 

訊きもしないで憶測だけで決めつけて話す大人がどうも苦手だ。