出来ない事も毎日毎日しつこく続ければ、嫌でも出来るようになるらしい。

羽田空港に向かう機内、
やっと親から離れられる安心感と、これから始まる自衛隊生活の不安とで感情が複雑だった。

 

 

自ら希望して自衛隊に入隊するのではなく、親に行って来いと出されて入隊するので私は志願兵ではなく徴兵。

 

 

羽田空港自衛官2名に出迎えられ駐屯地まで連れて行ってもらった。
部屋に荷物を置き、班分けされた紙に目を通し…そこからその日何をしたかは覚えてない…。
迷彩服や制服を着た大人達に囲まれ、心細さと極度の不安で覚えていない。

 

 

『曹学』の教育は前期4か月、後期4か月とわかれており、なぜか『曹学』だけ『2士』や『補士』より前期、後期、各1か月ずつ教育期間が長かった。

 

制服、迷彩服、武装用具、教科書類など必要な物一式と、『曹学』だけが制服や迷彩服の襟に付けれる金の桜型のバッジを渡された。
制服や迷彩服の襟にバッジを付け、自分で制服や迷彩服に階級章を縫い付けてようやく『自衛隊に入ったんだ…』と実感がわいた。

 


自ら望んで入隊したわけではないので『よし!頑張ろう!』という気合は一切なく
『さて…稼ぐか…』って夢も希望もない実務的な感じ。

 

 


自衛官は職を辞した後も守秘義務があるのであまり事細かに書けないのが残念…。
当たり障りのない内容しか書けない。

 

 

 

とりあえず、自衛隊というのは全てにおいて決まりがある。

 

迷彩服、制服に階級章を縫い付ける場所もミリ単位で決まっている。1ミリのズレは許容範囲だが2ミリはアウト。縫い直し。
自分で制服や迷彩服にアイロンをかけるのだが、迷彩服の袖にきれいな折り目がついていないとダメ。少しでもシワがあればかけ直し。

 

 

で、
自衛隊は基本連帯責任なので、だれか一人でもミスをしたり、ちゃんと出来ていないと全員その場で腕立て100回はザラ。酷いときは背中に小銃(ライフルみたいな銃)を背負ったまま腕立て。場合によっては砂利の上でも腕立て。

さすがに砂利の上での腕立ては手が痛すぎてどうにかなりそうだった…。

 

しかもその際、ちゃんと肘を曲げていない隊員が一人でもいれば1回としてカウントされないので永遠に続く。


腕立てと言ってもただ肘を曲げればいいわけではなく基本は顎を地面につけるスタンス。

 

 

前期教育は男女別で教育される。
内容は、超激しい体育と座学。

 

で、3歩以上は駆け足がデフォルト。

 

座学は自衛隊法や武器の使い方等、自衛隊で必要なお勉強。
超激しい体育は戦闘訓練、体力錬成、水泳等々、沢山ある。ホント…超沢山。


朝はラッパで起こされ、点呼をし、掃除をして朝食だが、ご飯は5分~10分で食べなければいけない。
無駄な事を考えている暇はなく、毎日毎日時間に追われていた。初めの頃は『超辞めたい!』って思っていたのに、それすら考える暇がなくなった…。
たぶんそんな考える暇があったら私はホントに辞めていたかもしれない。

 

毎日毎日班長の罵声を浴びたが、幼い頃から母の罵声を浴びていたので免疫があった。班長には申し訳ないが聞き流していた。


たぶん怒られることにはかなり慣れていたんだと思う。最初の頃、同期の子がちょっと怒鳴られただけで涙目になるのが不思議だった。


自分の顔から30センチしか離れてない距離で班長に怒鳴られたことがあるが、至近距離過ぎて『目疲れる…ツバ飛んでるし、少し離れてくれないかな…』って怒鳴られながら考えてた。


教育に体罰は無かったのでありがたかった。
母よりも、殴ったり蹴ったりしない自衛隊の方が優しい。

 

 

迷彩服を着てフル装備で銃を持ち、訓練場に出向いて戦闘訓練をするのだが、訓練場に行くまでがしんどかった。
ハイポートと言って銃を体の前で斜め45度に持ちアップダウンの激しい坂を声を出しながら(歩調を数えながら)走る。
班長の気分次第で坂を何往復もさせられる。戦闘訓練前にクタクタになるが、疲れたからと力を抜けば、さらに走らされるので、誰も力を抜かない。


訓練で、ほふく前進をする際、仮に自分の前に水たまりがあっても避けてはいけない。そこを這いつくばっていかなきゃいけない。
かかとが地面から離れていると後ろから班長に足で踏みつけられる。

 

 

訓練後、風呂前に体重を測ると体から水分が抜けきって前日の体重より3~4キロ減ってるのはしょっちゅうだった。
だいたい迷彩服に白い塩がつくほど汗をかけば3~4キロは普通に減っている。
でも毎日こんなに汗をかいても、さほど痩せない。理由は自衛隊のご飯のカロリーが凄いから…。朝昼晩のトータルが約3000〜4000カロリー。

夕飯ガッツリ食べていたので、次の日の朝には体重が戻ってる。


今の私の一日の摂取カロリーはだいだい1000~1200カロリーで多くても1500カロリー。今の倍食べてたと思うと恐ろしい。

 

ガッツリ食べないと体力が持たなかった。

食べたモノは激しい訓練で全部消費されちゃう…。

 


悲しいことに運動のし過ぎで前期教育の4か月間、生理がこなかった。
正直、子供が産めない体になってしまったのだ…と当時はかなり凹んだ。

でもちゃんと後期教育で生理がきて、安心してトイレで泣いた。

 


色々辛かったが、一般の人が出来ない経験をたくさんさせてもらえた事に感謝している。

 


テレビでしか観たことない防護マスクも実際、装着して勉強した。

防護マスクは8秒以内に装着しなければいけない。
防護マスクをケースから出す時間も含め8秒。さっさと装着しないと有毒ガスを吸ってしまうから。もたもた装着してると怒鳴られる。酸素は吸えるが、だいぶ息苦しいマスクだ。

 

フル装備で山を数十キロ歩く訓練の途中、班長に「全員防護マスクを装着しろ」と言われた時は本気で気絶するかと思った。
これほど酸素って大事なんだなーって思ったことはない。

 

 

 

入隊後、一人一人に銃が貸与された。最初は銃が怖かったが、毎日のように銃に触っていたら愛着がわく。射撃場に行き実弾をうったり、銃を持って走ったり、銃を分解して掃除したり、あんなに銃をべたべた触ることはもう一生ないだろう。

 

 

毎日何キロ走ってるのか分からないくらい走り、何回腕立てしたっけ?ってくらい腕立てをして、腕がバカになりそうなほど懸垂をして。
正直『今気絶してしまった方が楽だ!』と思うことは何度もあったが、そういう時に限って気絶をしない…。超意識ハッキリしてる。

 

 

 

富士山の訓練はキツかった、ホント。

体力的にキツイのは日々の訓練で慣れてたし、覚悟できてたが、あそこまで精神的にキツイとは思わなかった。

 

 

高校生まで毎日普通にお風呂に入れていたのに、真夏の富士山の訓練でお風呂に1週間入れなかった時はさすがに発狂しそうだった。あの時が人生で一番不潔だったと思う。

エンピ(スコップ)で自分の背丈ほどの穴を掘ってる時、余計な事を考えると虚しくなるので何も考えず、頭の中を「無」にして掘っていた。それでも虚しかったけど。

 


自衛隊に入るまで富士山は何回も見たことあったが、実際、富士に行き1週間ガッツリ訓練するなんて学生の頃思いもしなかったわ。

 

 

精神的に追い詰められても逃げれないのがしんどかったね。

 

 


教育のおかげで団結の大切さと普通の生活の大切さ(ありがたさ?)は学べた気はする。

 

 

 


実は自衛隊に入るまで、そんなにアイロンも裁縫も得意な方ではなかった。
だが毎日のようにアイロンかけたり、事あるごとに縫い物をしてたら気付かぬうちに上手くなってた。

 

 

入隊当初、体力に自信がなかったが、いつの間にか普通に腕立てなり腹筋なり懸垂なり長距離走なりできるようになってた。
毎日毎日続けた結果、嫌でもできるようになった。

 


自衛隊をやめて普通の生活に戻り、一つ思うことがある。
何かをする前にすぐに「できない」と言う人がいるが……でも、それってやったことのある人が言えるセリフであって…一度もやったことのない人は「できない」じゃなくて「やりたくない」だけだろ?って思ってしまう…。
「やりたくない」から自分に「できない」と言い聞かせてるようにも思える。

「できない」って自分に言い聞かせる事ができるなら「できる」って自己暗示かけられそうだけどね。 

 


で、
もう一つ気付いたことがある。
やっぱり私は大人数での集団生活が苦手だw